赤い車
今、占いにはまっています。とは言っても占ってもらうことではなく、占い師としての勉強をしてプロを目指しているのです。私がその道を目指すきっかけになった出来事について書かせてもらいます。
話は4年前にさかのぼります。当時、私は東京で一人暮らしをして大学へ通っていました。就職の内定も無事にもらい、その報告がてら1週間ほど実家へ戻っていたのですが、そのある晩遅く父から電話があり、「駅の近くの飲み屋まで迎えに来てくれ」と頼まれました。深夜の零時を回っていて母はもう就寝していたので、仕方なく私が家の車を運転して教えられた店へ行くと、泥酔した父がカウンターに突っ伏してイビキを掻いていました。「飲み過ぎだよ!」と一喝し、肩を揺さぶって無理矢理起こすと、店の人に頭を下げて連れて行こうとしたのですが、その時に「ちょっと待って」と呼び止められたのです。てっきり父がまだお勘定を済ませていないのだと思い、「ああ、ごめんなさい」と財布を取り出そうとすると、「いいえ、そうじゃないの」と手を横に振られました。
その人は店のママさんらしく、年の頃は40代の半ばくらい。キツネ顔の妖艶な美女でした。
(はあ~ん、お父さんたらこの人が目当てでここに通っているのね。言いつけちゃおうかな)
その女性と突っ伏した父の姿を見比べて、私がニヤニヤしていると「ほんのちょっとで良いから、ここに座って、ほら」と父のすぐ横の空いているスツールを指差してきました。
で、言われた通りに座るとウーロン茶を出してくれて、「あなた、宍戸さんの娘さん?」と訊かれたので、「そうです」と答えると、ママさんは「うーん」と首をかしげてうなりながら私の顔をまじまじと見つめ、「ちょっと変なこと言うけど良いかしら」と。
「何ですか」
「赤い車」
「えっ?」
「赤い車に心当たりはない?」
いきなりおかしなことを訊かれ、目が点になりました。
「すみません。何をおっしゃっているのか、さっぱり」
「あなたの後ろに赤い車が見えるのよ。それはすごく悪い物。具体的なことを言えなくて申し訳ないけれど、これからしばらくの間は赤い車に気をつけてね」
翌日の昼、ようやく起きてきた父に昨夜のことを話すと、
「あのママな、若い頃に東京で占い師の仕事をしていたそうだ。で、昔取った杵柄ちゅうか、今も店の常連の人生相談に乗ることがよくあるんだよ」
「お父さんも占ってもらったことあるの?」
「いや、ない。俺はそういうのは全く信じないから。だからおまえも気にすんな」
それから数日後、東京へ戻った私は、いつものように大学の授業を終えてアルバイト先へと向かっていました。その事務所までは地下鉄とJRを乗り継いで20分ほど掛かるのですが、運悪く事故の影響で電車が遅延してしまい、途中からバスを使いました。道路はかなり混雑しており、徐行を続けるバスの車内で時計とにらめっこしながらイライラしていたのですが、そのうちに車窓の外を並行して走る1台の車影が目に留まりました。それはセダンタイプのスポーツカーでした。車体の色はぴかぴかのメタリックレッド。一瞬たじろいだものの、考えてみれば赤い色の車体なんてその辺に数え切れないほど走っているわけですから、別に意味のあることではないと自分に言い聞かせました。しかしその晩のバイトからの帰路、再び赤い車と続けて2回もすれ違い、さらに翌日は5回以上も目にしました。とにかく赤い車との遭遇が、偶然とは思えぬほど頻発し始めたのです。それで何が起きるということもなかったのですが「これは警告かもしれない」という不安がどうしても払拭できず、単位を落とせない授業とバイトの日以外は自然と部屋に引きこもるようになりました。
赤い車におびえながらの生活はその後1ヶ月近く続いたのですが、終わりは唐突に訪れました。その日曜日の午後、窓の外に干した洗濯物を取り込んでいると上の階からヒラヒラとした影が落ちてきて、風にあおられる形で室内へ入り込みました。一見、何の変哲もないバスタオル。しかし拾い上げようと手にした途端、寒気が走りました。めくり返したバスタオルの真ん中には、赤いスポーツカーのプリントイラストが描かれていたのです。
私は携帯と財布を掴むと慌てて部屋を飛び出しました。上手く説明できませんが、とにかく自分の部屋にいてはいけない、と感じたのです。その日は女友達の家に泊めてもらいました。そして翌日の朝、彼女に付き添ってもらってマンションの自室へ戻ってみると、締めて出たはずの玄関ドアの鍵が掛かっていませんでした。
「え?ウソ……」
恐る恐るドアを開いて、息を飲みました。そこには衣類や下着、書棚にあった本などが散乱してグジャグジャになった室内の光景が広がっていました。私は震えながら警察へ電話しました。
犯人が捕まったという報せを受けたのは、それから間もなくのことでした。一人暮らしの女性を専門に狙ったピッキング強盗で、ただ金品を奪うだけではなく、就寝中の被害者を襲って乱暴をするという凶悪犯でした。あの日の夜、もし自分が部屋で寝ていたら……それを思うと今でもゾッとします。その後、帰省した折、父と一緒にあの元占い師のママが経営するスナックへ行き、あらためてお礼を言いました。
「なるほど、私が見た赤い車はそういうことだったのね」
「ママさんはその、霊能者っていうことなんですよね?」
「うーん、どうかな。最初はね、ただのタロット占い師だったのよ。でもお客さんを鑑定し続けているうちに、自然に見えるようになってきちゃったの。自分でもいまだに不思議」
そんな次第で、私は今、会社勤めの傍ら、占術スクールのタロット専門コースで学んでいます。ささやかな実益を兼ねた生涯の趣味として、細く長く続けて行くことが目標です。
「それに、もしかしたら自分もあのママのような能力が身に付くかもしれない」
そんなことを密かに夢見ています。