片想い成就を願う女
これは私が予約制の鑑定ルームを持って間もない時期に体験した出来事です。
当時、馴染みのお客様の中にエミリさんという30代初めの独身女性がいました。最初は職場の人間関係に関する相談が主だったのですが、そのうちに好きな男性ができたとのことで、もっぱら恋愛の悩みを打ち明けられるようになりました。
恋愛とは言いながら、実際には完全な一方通行の悩みでした。それで、どうしたら相手と両想いになれるのかと毎回問われて、その都度アドバイスを差し上げるような状況がしばらく近く続いたのですが、ある日、いつものように鑑定ルームで彼女と会うといきなり「先生、想いを遂げられました!」と言われたのです。
こんなことを書くのは心苦しいのですが、正直言って私は彼女の恋が叶うとは思っていませんでした。相手の男性というのは同じ職場の上司で、有名大学卒のエリート社員。しかも実家は地方の素封家らしく、すでに親が決めた婚約者らしき女性もいたからです。もし、エミリさん自身が人並み外れた美貌や才能の持ち主だったというのなら話は別かもしれませんが、とくにそうした取り柄があるわけでもなく、本当に十人並みの器量と能力を持ったどこにでもいるような普通の女性でしたので……。
ですから、毎回の鑑定では苦労しました。まさかお客様に対して「もっと分相応の相手を探すべき」とは言えませんので、「ご縁が薄い相手」「すでに決められた女性がいて、その人との縁の方が強い」などと、持って回った言い方で慰めるしかなかったのです。
しかし、それでも彼女は執拗に食い下がってきました。たとえ1%、いや0.1%の可能性でも良いから何かアドバイスをして欲しいと涙ながらに頼まれ、こちらももう苦し紛れで、内面の自己を高めて願望を成就させる瞑想法や相手に異性として意識してもらうためのスピリチュアル的なテクニックなどをその都度お伝えしていました。でも、まさかそれだけで奇跡が起きるとも思われず、先の言葉を聞いた時には耳を疑いました。
本人が語ったところによれば、私が教えた「相手に念を飛ばすテクニック」を実践し始めて2週間ほど経った頃、当の男性と2人きりで残業をするというシチュエーションになったそうです。そして帰りがけに食事に誘われ、その流れで肉体関係を持ったのだと。
「彼、前から私のことが気になっていた、と言っていました。それで、それは具体的にいつ頃からですか?と訊ねたら、ちょうどこの件を喜久子先生にご相談し始めた時期とぴったり重なっていたんですよ!だから願いが叶ったのは先生のおかげだと思っています!本当に何て言ったらいいか……ありがとうございます!」
彼女の喜びようは尋常ではなく、熱に浮かされて瞳孔が開いた眼差しが今も頭から離れません。
その後、エミリさんと顔を合わせる頻度が急激に増えました。それまでは多くても月に2回ほどだったのが、ほぼ毎週必ず予約を取って訪れるようになり、その度に恋人となった男性との進捗状態について報告を受けました。もうすでに悩みの相談ではなくなっていたわけです。
1時間ずっと、とりとめのないのろけ話を聞かされるのは、仕事とはいえ少々苦痛でした。また、またろくに占いもせずにお金だけいただくのも大変申し訳なくて、それとなく「もう来なくても良いのではないですか」という雰囲気を漂わせてみたのですが、全く効果なし。しまいには「来週は彼を連れて伺います。先生に直接、彼を見ていただきたいから」と言われてしまい、もう返す言葉もありませんでした。
そして翌週の金曜日の夜、いつものようにエミリさん1人でやってきたのです。
「あら、彼氏はご一緒ではないのですか?」
「え?何おっしゃってるんですか、先生。……ほら、こちらが前から話していた喜久子先生よ。どう?とても綺麗な人でしょう?」と、彼女はまるで自分の横に恋人がいるかのように話していました。
(ヤバイ……!!)
元々が神経質で生真面目で、他人をからかって遊ぶようなことができる女性ではありません。これは完全に心を病んでいると察しました。でも、そのまま追い返すわけにもいかず、とにかくここはできる限り相手に話を合わせておくのが無難だと思いました。
高鳴る心臓を必死でなだめ、あたかも彼女の隣に男性が座っているように振る舞いました。もし危険な状況になったら即座に部屋を飛び出せるように密かに身構えながら、紅茶の入ったカップをふたつ置き、無人の椅子に向かって「初めまして」と挨拶までしました。
その後は請われるままホロスコープで2人の相性を見て、今後付き合っていく上でお互いに気をつけることなどをお話ししました。できるだけ問答の形にならないように終始、私1人でまくし立てるような感じだったのですが、彼女は熱心に耳を傾けて頷き続けていました。そして時折、隣にいる見えない恋人に熱い眼差しを送っていたのです。
そうこうしているうちに、冷や汗ものの鑑定も何とか終了時間を迎えました。
「彼、仕事を離れるとすごく無口なんです。すみませんでした」
「い、いえ。お気になさらないでください」
「本当はもっと色々なことをお聞きしたかったんです。結婚のこととか」
そういうとエミリさんは頭を下げて背中を向け、エレベーターの方へ離れていきました。
私は早々に部屋へ戻りました。そして次からどういう口実で彼女の予約を断ろうかと思案しているうちに、ふとテーブルに置いたままの2つのティーカップが目に留まりました。ふたつとも空でした。エミリさんがお茶を飲んでいた様子は憶えていますが、隣のカップにまで手を伸ばしてはいませんでした。さらにテーブル下の床に男物の柄のハンカチが落ちているのも見つけました。
その日を境に、彼女からの連絡はパタリと途絶えました。1度だけ好奇心で携帯へ電話をしてみたのですが、すでに使われていない番号となっていました。
なお謎の男物のハンカチについては、知り合いのお寺の住職に話方々、実物を見せたところ、「人が持っていてはいけない物」だと言われ、その日のうちに護摩供養の火で燃やされました。