旅先で遭った怖い話
~旅行添乗員・幽子の備忘録~

現役の旅行添乗員にして霊能者でもある女性が、旅先で体験した様々な心霊実話をお伝えします。心霊スポットとしても有名な観光地、霊が出ると噂されるホテルや旅館。

第1回

手招きする和服の女(岩手県H市)

霊能館公開

旅行添乗員の仕事を始めて今年で十年になります。名前は仮に幽子とさせてください。会社には秘密なのですが私には生まれつきの強い霊感があり、一時はある有名な霊能者の元で修行した経験も有しています。そんな私が旅先で遭遇した、ときに恐ろしくときに不可思議な霊体験についてお話しさせていただきます。

最初にご紹介するのは、岩手県内の某温泉旅館での怪奇現象についてです。つい昨年の秋、従業員五十名ほどの会社の慰安旅行の添乗員を務めました。目的地は岩手県。早朝にバスで現地へ向かい、昼間は平泉などの観光地を巡って、夜はH市内の温泉旅館に宿泊してそこで宴会を催すというプランでした。じつはこのツアーは私がプランニングしたものではなく、当初は別の社員が担当していました。しかしその本人が急病で倒れてしまい、代わりにスケジュールが空いていた私に白羽の矢が立ったのです。さっそく前任者の企画書を手渡されて目を通したのですが、宿泊予定の旅館名を見たとたんに、(あ、これは気をつけないと……)と身を引き締めました。その旅館、同業者の間では幽霊が出る宿としてわりと有名でして、前任者はそのことを知ってか知らずか団体予約を入れてしまったのです。恐らく紅葉シーズンということもあり、50人あまりの客をまとめて受け入れてくれる温泉旅館が他になかったのだと思われました。私自身は一度も泊まったことがない宿でしたので事の真偽は不明ながら、万が一にもお客様からクレームなどいただかないようにと、ひそかにお祓いの用意までして心して仕事に臨みました。

そして当日、観光地巡りを終えたツアーバスはプラン通りのスケジュールで旅館へ到着。宿自慢の露天風呂に入浴する時間を挟んで、午後七時から宴会が始まりました。一方こちらは、部屋の割り当て及び宴会の手配確認を済ませるとすぐに館内を見て回りました。霊感のアンテナを張り巡らせながら、従業員に怪しまれないように慎重に調べてみたところ、女性用の露天風呂付近と新館と本館をつなぐ長い渡り廊下一帯に比較的強い霊気が滞留していることに気付きました。ただし、霊体自体は全く見えなかったので、実際には噂ほどのことはないのかなとひとまず安堵して、自分の部屋に戻ったのです。その後、宴会は午後十時に終了し、飲み足りない人たちはそれぞれの部屋で二次会、もっと温泉を楽しみたい人は明け方まで開放してもらった露天風呂へどうぞ、ということになりました。

私は露天風呂に浸かることもなく、バスの運転手と翌日の打ち合わせを終えた後、部屋風呂でさっさと入浴を済ませて就寝したのですが、それからしばらく経った午前二時過ぎに妙な胸騒ぎを感じて急に目が覚めました。折しも廊下で人の気配がしたので、手早く服装を整えて部屋の外へ出ました。するとそこには、今回の旅行の幹事役である中年男性の姿がありました。彼は私を見つけると慌てた顔で近づいてきて、
「ああ、ちょうど良かった。旅館の従業員を探していたんだが、あんたでもいいや。」
「どうかされましたか?」
「いや、じつはね、うちの若い奴が一人、自分の部屋から消えちゃってね。他の社員たちの部屋も全部確認したんだけど、どこにも紛れ込んでいないんだ。外へ遊びに行ったのかもしれないんだが、どこか変な場所で酔いつぶれて寝ていたりしたらちょっとまずいかなと思って。」
「携帯で連絡は取れないんですか?」
「それがさ、そいつ、スマホを置いたまま出て行っちゃったんだよ。」
すぐに行方不明になっているという若手社員の部屋へ出向き、同室の男性三人から事情を聞きました。彼らの話では、午前零時頃に四人で連れ立って露天風呂へ向かったらしいのですが、途中で気がつくといつの間にか一人だけ姿が消えていたと……。この部屋から露天風呂へ行くには、あの渡り廊下を通る必要がある。もしかしたら、とピンッときた私はすぐに部屋を出ました。そして長い渡り廊下の端に到着すると、じっと目を凝らして薄暗い照明に照らし出された空間を見据えました。夕刻に感じた霊気は夜半を過ぎていっそう濃くなっており、やがてそれがぼんやりとした像を結ぶのが見えました。

目の前に現れたのは和服を着た若い女でした。宿で働く仲居さんの姿にも似ていましたが、衣の色は白く、しかもところどころに血と思しき飛沫が飛び散っているのが見えました。しばらくの間、女と見つめ合っていると突然、向こうが手招きをしてきました。女に導かれるまま、私は距離を置いてその後を追いました。女は露天風呂とは反対側の細い廊下の方へ曲がると、さらにその奥へ奥へと進み続け、行き止まりになっている真っ暗な場所で動きを止めたのです。そして忽然と姿を消してしまいました。暗闇の中で目を凝らすと、廊下の行き止まりには小さな部屋があるようでした。半ば手探りでその障子を開けると、すえた埃の臭いが鼻を突いてきました。室内は六畳の広さの和室で、窓側の破れた障子越しに月の光が差し込んでおり、そのわずかな光が浴衣のはだけた半裸姿で横たわる大柄な人影をぼんやりと浮き上がらせていたのです。行方不明になった男性社員でした。

翌日の早朝、目を覚ました当の社員から話を聞きました。
「恥ずかしい話なんですが、みんなと風呂へ行く途中、美人の仲居に出会って手招きされたんです。ひどく酔っぱらっていたもので、僕を誘っているのかなと思っちゃってついフラフラと後を付いていて……。」
彼はそこまで言うと、後は言葉を濁してしまいました。脅えきった表情から察するに、よほど恐ろしい体験をしたに違いありません。彼の首筋には女のものを思われる細い指の跡、さらにくっきりとした歯型の跡まで残っていました。ちなみに幽霊に導かれて行ったあの狭い部屋は以前、仲居さんの休憩室として使われていたそうです。そこで過去に何が起きたのかは知る由もありません。