幽霊が出る宿三題……(京都府K市・東京都T区・北海道S市)
霊現象が起きるホテルや旅館というのは、じつを言えばそれほど多くはありません。ただ出る場所にはほぼ必ずと言って良いほど出るようですし、さほど霊感がない人でもそれを見てしまう傾向があるようです。ホテルや旅館の部屋というのは不特定多数の人間が比較的長時間を過ごす場所であり、なおかつ閉鎖された空間です。長年に渡って降り積もった様々な人々の想念の澱が、何かの拍子に「幽霊」という形で可視化してしまうのかもしれません。あなたがお泊まりになる部屋がそうではないことを祈りつつ、私が最近聞いた3つの体験談をお話しします。
その1、窓が怖い宿
場所は日本を代表する歴史の街・K市の中心にあるビジネスホテル。最近は中国人観光客の急増により同市内での宿泊予約が難しくなっているようで急遽、泊まりがけの出張が決まったAさんも宿探しにさんざん苦労して、ようやく探し当てたのがこのホテルでした。
当日は取引先の会社で接待を受けた後、午後11時過ぎに投宿。用意されていたのは4階の一番端の角部屋でした。翌日も朝から別会社との打ち合わせの予定があり、早々に身を休めようと思ったAさんは手早く入浴を済ませた後、すぐにベッドに潜り込みました。
枕に頭を沈めて何となくうとうとしながら過ごしていると、やがて部屋が妙に明るいことに気づきました。室内の灯りは全て消したので、外の光が入ってくるのかと思って窓を見ると、案の定、カーテンの隙間からぼんやりとした青白い光が差し込んでいるのが見えたのです。最初は街灯かと思ったのですが、窓が2ヶ所ある角部屋で、その光が入ってくる方の窓は確か隣のビルと接していたはずだと気づき、首を傾げながらカーテンを開けると……そこには人間の顔がありました。
「古臭い感じのパーマをかけた中年の女でした。その顔が青白く光りながら、部屋の中を覗いていたんですよ。一瞬、看板か何かとも思いましたが、まあ絶対にそんなことはないわけで」
彼は唖然として、しばしその顔と見つめ合うことになったそうです。
「でも結局、逃げました。その女、窓越しに何事かつぶやいていたんですが、ガラスに遮られて声は聞こえないものの、口の動きを見るうちに何と言っているのかが分かったので」
窓の顔のことは伏せたまま「まぶしくて眠れない」とだけフロントに言うと、向こうは(またか)という表情を浮かべてすぐに代わりの部屋を用意してくれました。ちなみにその女は黒目だけの目でKさんをじっとりと睨みながら、「殺す、殺す、殺す」と繰り返しつぶやいていたのだと……。
その2、従業員が怖い宿
この夏、知人のNさんが体験した話です。ある日の夜、些細なことで奥さんと大喧嘩したNさん。思わず「出て行け!」と叫んだところ、逆に家を追い出されてしまいました。自分の不甲斐なさを嘆きつつ行きつけの店でヤケ酒を飲んで憂さを晴らしていたのですが、お酒の量とともに怒りは増すばかり。こうなったら無断で外泊して心配させてやると、浅草の繁華街からほど近いビジネス旅館に泊まりました。
そこは3階建ての建物に10ほどの部屋しかない小さな宿。その時、Nさんはかなり酔っていたので、部屋へ通されるとそのまま敷かれていた布団に倒れ込んで眠りこけました。それから何時間寝たのか、喉の渇きを感じてふと目が覚めると、布団の足許にジッと座り込んでいる人影が見えたのです。
「ギャッ」と叫んで跳ね起き、手探りで部屋の灯りを点けました。布団の端に座っていたのは、ワンピース姿の初老の女性。恐る恐るその顔を覗き込むと、何と数時間前に自分を出迎えてくれた旅館の女将でした。
なんでこんな所にいるんだと訊ねると、女将はひどく申し訳なそうな顔付きで
「突然申し訳ございません。ちょっと探し物をしておりまして」
「勝手に客の部屋へ入って探し物って。どういう旅館なんだよ、ここは!」
思わず声を荒げたNさんに向かって女将はペコリと頭を下げると、そのまま廊下へ消えていきました。
何だったんだ、ありゃ?怒りと驚きが治まらないものの、まだ酔いが残っていたこともあり、それ以上は詮索することもなく部屋の鍵を掛け直して再び就寝。翌朝、フロントロビーに降りた際、ちょうどそこにいた男性従業員に文句を言ったところ、
「うちにはそんな人は働いていません。昨日の夜、お客さんの受付をしたのも私ですよ」
と逆に言い返されてしまいました。
「まあ、普通に考えれば酒が見せた幻覚なんでしょうが私、アル中じゃないですし。それにしてもあの女の人、いったい何を探していたんでしょうか」
その3、有線放送が怖い宿
自営業のTさんが独りで北海道旅行をした際に体験した出来事。1週間の休みを取ってレンタカーで道内を周遊した最終日、彼はS市の中心地から少し離れたリゾート風のホテルに泊まったのですが、初夏の観光シーズンにもかかわらず他にはお客の姿がほとんど見当たらず、その時点で「何か難のある宿なのかもしれない」と訝しんだそうです。
しかし従業員の態度はとても良く、宿泊客への気配りも万全。ディナーの料理も抜群に美味しくて、実際には欠点など全く見つかりませんでした。きっとここは穴場なのだと気を良くしたTさん、機会があったらぜひまた泊まろうと心に決めつつ、満ち足りた気分で眠りに就いたのです。
異変が起きたのは深夜2時近くのこと。室内に響く軽音楽に目が覚め、部屋を明るくして音源を探してみると、ベッドサイドのキャビネットに収まった有線放送装置のスイッチがオンになっていることに気づきました。首を傾げつつスイッチを切り、再び眠りの淵についたその時、今度は自分が寝ているすぐ横で何かの気配を感じたのです。暗闇の中で恐る恐る目だけ動かしてそちらを見ると、うずくまった真っ黒な人影が先ほど消した有線放送の装置をカチャカチャといじっているのが見えました。
(うっ!)恐怖に喉を詰まらせて凍りついていたTさん、そこにいきなり大音量の読経の声が響き渡りました。たまらずベッドから転げ落ち、そのまま廊下を飛び出した彼はフロントに掛け合って無事に部屋を替えてもらうことができたそうですが、謎の黒い影については最後まで何も分からずじまいだったと。
「まあ、知っていても言うわけはないですよね。良いホテルなのに客が少ない理由が分かりました。それにしてもあのオバケ、本当に恐かった。全身が真っ黒でふたつの目玉だけがギラギラ光っていました」
ちなみに般若心経の有線放送というのは、実際にあるそうです。