視える男と謎の騒音……(長野県M市)
昨年の秋、業界団体の研修ツアーに随行して、お城と湖で有名な長野県M市を訪れました。
3台のバスを連ねたわりと大掛かりな移動で、私の他にもう1人、アシスタントとして若い男性スタッフも動員したのですが、じつはこの人も「視える」能力の持ち主。名前は高野君と言います。じつは事前に私が彼を指名して宿泊先のホテル名を告げた時、かなり嫌そうな顔をしていました。
「えー!幽子先輩、あのホテル使うんですか」
「そうよ。今回は100名以上を収容できるセミナー会場が必要だから。あそこならそれも可能でしょう?」
「そうか。先輩はまだ泊まったことがないから知らないんですね」
あらためて話を訊くと、高野君は過去に仕事で3回そのホテルに泊まったことがあり、いずれも部屋で霊に遭遇したのだそうです。
「30代くらいの女と50絡みの中年男。それが毎回、どういうわけか僕のところへ出るんですよ。たぶんどちらもあそこで自殺した人だと思うんですが、何だか知らないけれどすごくしつこくて、朝まで寝かせてくれないんです」
視えるとはいえ、彼にはそれを祓う能力はありません。以前、
「知り合いの霊能者を紹介してあげるから、お祓いのやり方とか少し勉強したら?」
と勧めたのですが、
「そういう世界に足を踏み入れると、もっと怖い目に遭いそうだから嫌です」
とにべもなく断られました。異様なほど霊感が強いくせに、妙に頑固でリアリストという相反した性格の持ち主なのです。
当日は早朝に東京を出発して正午前に目的へ到着。2泊3日の日程のうち、初日は午後から夕刻までの全体研修、2日目もホテルに缶詰となって研修プログラムが続いた後、夜は地元の業界団体との懇親会というスケジュールになっていました。皆さん、仕事の一環として来ていらっしゃるので浮かれた気分は全くなく、それどころか疲れた顔付きをした若手、中堅社員の姿が目立ちました。
観光ツアーではないので、その分、こちらとしては楽をすることができたのですが、2日目の夜に状況が一変しました。
最初にそれが起きたのは午後11時過ぎ。フロントを通してツアーのお客様からお呼びが掛かり、高野君と一緒に1階のロビーへ出向いたところ、2人部屋に宿泊している中年男性たちが、憮然とした表情で待ち構えていました。
「今、フロントにも言ったんだけれどね、隣の部屋がうるさくて眠れないんだよ」
その人達の話では、懇親会を早めに切り上げてホテル内の温泉施設を利用し、缶ビールを片手にさあ寝ようかと部屋に戻ったところ、ドアから向かって左側の壁越しとドスンドスンと何かを叩いているような大きな音が響き渡っていたそうです。その騒音がいつまで経っても鳴りやまないので堪らずホテルスタッフを呼び出したところ、その人が入室する寸前に今まで騒がしかった隣室の音はピタリと止み、さらにスタッフが去った途端、再び鳴り響き出したのだと。
「問題の隣室は昨日から空いているんですよ。ですから音などするはずはないのですが……一体どういうことなのか、私共でもさっぱり分からなくて」
平身低頭で説明するフロントマンから高野君に目を移すと、
(やっぱり僕が言った通りでしょう?)
という表情を浮かべていました。
その後も壁越しの騒音に関する苦情が立て続けに入り、深夜当番のホテルスタッフが総出で対応するという事態になりました。不思議なのは騒音被害を訴えてきたのが私たちの引率してきた研修客のみで、他の宿泊者たちには何事も起きていないこと。こんな出来事に遭遇したのは、この仕事に就いて初めてでした。
部屋替えをするにも空き室の数が足らず、どう対応したら良いのかと頭を抱えていると、急に高野君に腕を引かれました。
「僕の部屋に行きましょう。じつは今回も彼らが来ているんですよ」
それで言われるままに赴き、ドアを開けてみると、室内には本当に2体の霊がさまよっていたのです。1人は若い女性、もう1人は中年男性。彼が言っていた通りでした。
「この人達に聞けば何か分かると思います。僕はそういうことはできないので、幽子先輩にお任せします」
私は頷き、2体の霊とのコンタクトを試みました。すると中年男性の霊が、縋るような目で近づいてきたのです。
「供養を……供養を……」
男性霊は途切れ途切れの言葉を何度も繰り返して、切々と訴えかけてきました。するともう1人の女性の霊もそれに呼応するように、
「あなたみたいな人が来るのを待っていました。ここはもう嫌なの。どうか成仏させてください」
そう言うと恨めしげな顔で高野君を指差し、
「こっちの男は全然ダメ。いくら頼んでもいつも知らん顔で、本当にひどい男」
だと。謎の騒音がこの霊たちの仕業であることは明白でした。自分達の訴えを聞いてもらうために嫌がらせをしたのです。私は彼らに向かって
「ごく近いうちに必ず能力のある人物をこのホテルに呼んで、あなた方をご供養します」
と約束しました。それから再びロビーへ戻り、苦情を申し立てていたお客様に
「もう、大丈夫です。適切に対処しましたので」
と伝えました。皆、半信半疑で部屋へ帰っていきましたが、その後は朝まで何事もなく、何とか責務を果たすことができたのです。
東京へ戻るとすぐ霊能者の杉田さんに連絡し、一般客を装って宿泊した上で浄霊の儀式をしてくれるよう手配。それでこの件はひとまず落着となったのですが、後日その杉田さんからの報告でホテル内には私と高野君が出くわした2体以外にも、数十あまりの不成仏霊が巣くっていたことが分かりました。
むろん全てが当のホテルで自殺した霊というわけではなく、隣接する敷地に特殊な因縁があり、霊が集まりやすい磁場でできているとのことでした。
余談ですが現在、高野君は月に数回、杉田さんの元に通って霊能者としての勉強と修行を続けています。その心境の変化について訊ねると、
「今回は幽子さんがいたから何とかなりましたけど、僕1人の時に同じような目にあったら大変じゃないですか。下手したら、会社をクビになっちゃいますよ」
と言っていました。幽霊よりも失業が怖い。いかにも彼らしい考え方だと思わず苦笑してしまいました。